夜の政庁の奥、文殿の一隅。帳が垂れ、香が仄かに残る静かな小間。従者は遠ざけられ、灯籠の揺れる灯だけが、墨のような闇に点々と光を落としていた。 「……珍しいな。客人が、我が私室に忍び入るとは」 大蔵卿は肘を文机に乗せ、扇で香煙の名残を払いつつ、静かに相手を見据えた。 金と白の異国風の衣をまとった|客《・》|人《・》は、すでに仮面を脱ぎ捨てたような目をしていた。 「貴国の在り方に、深い敬意を抱いております。だからこそ、慎重に話を進めたいと考えました」 「直球だな。――で?」 客人は一礼し、口を開いた。 「我々は、ひとりの人物を捜しております。名も身分も不要。ただ、所在だけ。確実な接触の糸口が欲しい」 「それは……皇族に関わる話か?」 「必ずしも、とは申しません。――ただし、いずれ災いをもたらす者」 扇の動きがぴたりと止まる。 「……それが本当なら、聞いてやらんこともない。ただし、その見返りを聞こうじゃないか」 客人は懐から一枚の紙束を取り出した。手ずれのないそれは、明らかにこの国のものではない。 そこには、人の体を模した設計図――内臓、神経、電気信号、拡張器官、魂などの概念図が描かれていた。 「これは……」 「下界にて、我々が築いてきた技術体系の一部です。長命の理では到達しえぬ変化と輪廻の思想。もし、貴殿が国を守るために必要とお考えであれば――一部の提供も可能です」 大蔵卿は図面を見下ろしながら、小さく息を吐いた。 「……なるほど。死を前提に設計された文明、か。確かに、我らのものとはまったく別物だ」 客人はわずかに口角を上げた。 「ええ、その中でも我々は魂の研究を続けています。永遠に近い命を持つあなた方にはあまり馴染みのない分野でしょう。――興味を持った長命種がすでに何名か我々とともに下界へ降りていますよ」 「……私は国を去るつもりはない」 「ええ、ええ、でしょうとも。……ただ、変化を恐れず、合理を受け入れる。貴殿のご判断も、同様ではありませんか?」 しばしの沈黙。 大蔵卿は天井を仰いだ。 「……守るとは、時に切り捨てるということだ。私が守ろうとしているのは、血でも名誉でもなく、国の形そのものだよ。口を出す者は多いが、責任を取る者は少ない――だからこそ、私が決断するしかない場面というのは、どうしてもある」 扇を畳む。目が鋭く光を捉えた。 「――誰を捜している?」 客人はわずかに微笑んだ。 「人の理を拒み、長命の理からもわずかに逸れている者。……我々の目にだけ、それは映る」 「……私の手元にいるとは限らんな」 「貴国の要人と、公式の場で言葉を交わせるだけで充分。……ええ、真の姿は“場”の空気に現れるものですから」 「……ふむ」 扇の先で文机を軽く叩く。 「その代わり、覚えておけ。我が国に手を出すならば、皇族であれ異邦人であれ――私は平等に切り捨てるぞ」 「承知しております」 客人は立ち上がる。その仕草はまるで舞台の役者のように優雅だった。 「それでは、我々は|た《・》|だ《・》|の《・》|使《・》|節《・》として――明朝、白宸殿に参じましょう。貴国が誇る、“白き姫君”に正式な挨拶を」 その言葉の裏には、わずかに揺らめく嘲弄があった。