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烏有辿行 宮階

第十二話 一節

 星の残る夜、青年はひとり、庭に降りていた。  湿った砂利の感触が、裸足の足裏を冷たく伝ってくる。  手には、白檀の香の抜けきらない書物があった。  黒髪の男から渡されたものだ。まだ、まともにページは開いていない。  名とは、誰かに与えられるものなのか。  それとも、呼ばれたことで存在するものなのか。  彼女の言葉が、頭から離れなかった。 ――呼びたいと思ったのです。 ――呼ぶことで、あなたがここにいると、信じられる気がするから。  呼ばれた。  名前ではなく、意志で。    青年は、空を見上げた。  星の名も知らない。  でも、そこにある光だけは、なぜか心にしみた。  ふと、邸の庭にあった一本の柊の木を思い出す。  その葉に触れた小さな痛みだけが――  たしかに、自分が「生きていた」証のように思えたのだ。      書物を開く。  手が止まる。  一節。  『少しだけ、あなたに  呼ばれてみたいと思ってしまった。』